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天海春香って誰よ

このブログを定期的にご覧頂いている方々(がどれだけいるのか、というのは置いといて)はご承知の通り、dbdbPは時々小難しい長文を書きますね。
お前は一体こんなブログで何がやりたいんだ、と思われても仕方のないほどの長文をw
でも今日みたいに週末の深夜になると、ちょっと脳みそにも余裕が出来たりして、色々考えてしまうのよー。
それに、色々アイマスやニコマスについて語る記事は数あれど、自分みたいにややこしい論理を述べて語る面倒くさい記事は少ないでしょうから、それはそれで個性としてありなのかな、と思ってるんです。
以前はそういう記事も全部ひっくるめて「雑記」というカテゴリにぶち込んでいたんですけど、さすがにこういう重たくて中身の長い記事が「雑記」のなかに紛れ込んでいるのはある種のテロだなwと思ったので「考察」というのを作ってそっちに入れることにしますね!

で、以下今日のテーマ。
「天海春香って誰よ」
です。
もちろん長文ですので、お時間に余裕と記事にご興味のある方はどうぞ。




さて、テーマである「天海春香って誰よ」ですが。
これはつまり何を論じたいかというと、今やアイマスの一大人気キャラである天海春香にはさまざまな側面がありますが、それらを統一して一般的天海春香を導き出すことが可能であるかどうか、ということです。
可能であるなら、その一般化された天海春香とはどんなものか、ということです。
不可能であるなら、それはなぜか、ということです。

黒春香、白春香という有名すぎる双璧のほかにも、色々な春香像がニコマスには存在します。
それぞれの春香の支持者が、それぞれの春香に惚れているわけです。
とくに黒春香と白春香の間では、時にそれが論争を呼んだりもしますよね。
往々にして目も当てられない水掛け論になるわけですが、自分としても色々思うわけですよ。
なので、ここらでビシッと答えを見つけちゃおうぜ! ってことです。
答えが出ないなら、答えなんかねえよ! ってことを見つけないといけません。

では本題です。
白黒論争については何度となく各所で繰り返されておりますが、そんなときに取り沙汰されるのが「公式設定」の存在です。
つまり原作、ゲームのアイマスの春香です。
彼女こそがこの問い・この考察の答えである。という意見もあって然るべきだと思います。
しかし自分は、まずそこに異論を唱えたいのです。

勘違いしないで欲しいのは、「公式設定」を否定するつもりは全くないということです。
春香の誕生日が4月3日であるとか、春香が16歳であるとか、それら不動の設定を否定することに何の意味もありません。
ただし、公式設定は明文化され、厳密に定義されてようやく権威を持つものなのです。
春香が腹黒く策略を練り、ライバルを蹴落としたからといって、その人間的狡さを何を理由に否定できるでしょうか。
春香が天使のような純真さで他人を思いやり、損得勘定を投げ出して助けようとする様を、これこそが春香だと誰が定義できますか。

そんなことが出来るのは原作者だけです。
そして原作者は、何にも言っていない。
つまり春香の人格に関する設定なんてどこにもないんですよ。
人格に関する設定は、「歌が好きな普通の女の子。基本的に素直で前向きだが、感情がたかぶると手がつけられない。」ということだけなんです。
普通の女の子なんていう固体はどこにも存在しません。
普通のように見える女の子がいるだけです。
そしてその普通は、女の子を「普通であるように」見ている人間の価値観に依存します。
基本的に素直で前向きなら、例外的にはそうじゃないこともあるわけです。

これが公式設定の全てです。
そしてその設定の中に、白春香も黒春香も含まれています。
故に、公式の春香が答えだとしても、それはどちらとも取れる答えに過ぎないのです。

ということで、公式設定に頼ることはできなくなりました。
では何に頼るのか? それでもやっぱりプレイヤーは、原作に頼らざるを得ません。
なぜなら春香と接触できるのは、アイドルマスターというゲームを通してだけだからです。
ニコマスの春香は、他人の手が加わっているので厳密には春香ではありません。
原作の春香の情報だけが、プレイヤーに「天海春香」について考える手がかりを与えてくれるのです。

ところが、原作の春香の情報は会話シーンでしか手に入りません。
各々のシチュエーションにおいての反応、発言、仕草、表情、それらの情報から「天海春香」を分析するしかありません。
そこで解釈、感覚の違いが物を言うわけですね。
同じ春香の笑顔を「かわいい」と感じる人もいれば、「黒いw」と感じる人もいるわけです。
同じ春香の拗ねた態度を、「萌え死ぬw」と思う人もいれば、「あざといw」と思う人もいるわけです。

黒春香人気も白春香人気も、その解釈の差異の産物なわけですから、否定することはできません。
それは他人の感性の否定だからです。
その人が「かわいい」とか「黒いw」と感じている事実を否定しても何の意味もないことは明らかです。
自分がそうは思わないからといって、世界中の人が自分と同じように思ってくれるわけではない。ということは当然の事実です。
ここにおいて、「春香は黒くないよ!」とか、「春香なんて別に可愛くないよ!」と主張することの無意味さが明らかになります。
それらは自らの感想の表明であって、議論すべき主題にはなり得ないものなのです。

そして、個人個人が勝手に自分の感想を表明し合って、春香について「黒い」とか「黒くない」とか、「かわいい」とか「あざとい」とか言っているだけでは、もはや「天海春香」は個々人の認識の中に拡散して、共通項を持たない何か別のものになってしまいます。
それが、黒い春香なんて春香さんじゃない! と言う人の心理であり、白春香を見ても黒く見えてしまう人の心理なのです。
そこにはもう、自分のなかのオリジナル春香しかいないのです。
皆がそれぞれ自分の思うそれぞれの春香を持っていて、他人の中の春香像なんてまがい物でしかないとさえ思えてしまいます。
もっと言えば、そのまがい物の、違う解釈の春香を見ても、もう自分の春香として見てしまうのです。
自分の感性というフィルタ――レンズを通して、全てが自分の春香像に一致するように感じてしまう。
それもそのはずで、人間は自分の感性でしか物を感じることが出来ませんから、「自分の感性を発信する他者」から何かの情報を受信しても、それは自分の感性でしか受け取れません。
人間はみんな、世界から決定的に隔離されているのです。

そしてそれは、原作に対しても同じことが言えるでしょう。
原作者が送り出した春香の情報すら、自分の感性でしか受け取れません。
つまり、天海春香が誰であるかなど、誰も知らないのです。
しかし、それでも天海春香は存在します。少なくとも、原作者の脳内には「正しい」春香が存在するはずです。
その正しい春香についての情報を、誰も受け取ることができないというだけです。

これって、実は現実に第二者――誰か実在の人間を相手にするときと全く同じなんですよね。
誰も本当の「その人」なんて知らないんです。
全ては自分の中に認識として引き取るしかなく、世界はそこに定義されてしまいます。
自分の言語・感性・思考の限界が、世界の限界なのです。
別に独我論(※1)を唱えたいわけではありません。
それでも世界は存在すると自分は思っています。
で、あるならば、黒春香も白春香も、たとえ自分がその存在を感じることができなくても、存在し得るということになります。
あなたがdbdbPという人間を知るまで、あなたの中でdbdbPは存在していませんでしたが、だからといってそれまでdbdbPが存在しなかったかというとそんなことはありません。
自分は今年25になりますが、ちゃんと25年間存在していました。
同じように、あなたにとって春香が白(あるいは黒)春香だったとしても、だから春香が黒(あるいは白)春香ではないということにはなりません。
それはどちらであっても矛盾にはなりません、むしろトートロジー(※2)です。
なぜなら春香の本質は白か黒かということではなく、それが春香であるというところに宿るからです。
白春香であり、かつ、黒春香である。ということは「天海春香」について考えるときはなんら矛盾しないのです。
これが矛盾するのは、ただ単に「色」について考えているときだけです。
問題の本質が「天海春香」という女性であることを忘れて、「色」に執着するとき、そこに論争が生まれてしまうのではないでしょうか。

つまり、です。
事の本質が「天海春香」であるということを理解している人間。
自分が好きなのが「天海春香」という女性であることを知っている人間。
そんな人間にとっては、白とか黒とかという「色」はどうでもいいことになるのです。
それは春香の服装・髪型・表情と同じ、春香自体ではなく「春香の状態」に他なりません。
黒かろうが白かろうが、かわいかろうがあざとかろうが、泣いていようが笑っていようが、それが春香であるならそれは全部春香なのです。
はい、当たり前のことを言っていますね。
ですが大事なことを言っています。

「春香の状態」とは、たとえばスク水を着ている春香とか、転んでいる春香とか、笑顔の春香とか、そういった成立している事態、目の前に現実に起こっている状態のことを指します。
多くの人は、その状態を指して「好き」と言います。
春香の笑顔が好き。春香の声が好き。春香には笑っていて欲しい。泣いてる春香は嫌だ。
そう言います。
ですが、それらは春香ではなく、春香の状態の一形態に過ぎません。
「春香自体」を愛するとは、その「存在している春香の状態」を受け入れることではなく、「存在していない春香の状態」までも受け入れることです。
白春香が好きだからと言って、春香が黒くなった時に受け入れられないなら、その人が好きなのは結局「天海春香自体」ではなく「春香が白い時」です。

考えてみてください。
あなたが好きなあのアイドルについて。
あなたが好きなのは、あなたの中に存在する彼女ですか?
それとも、あなたの中にはまだ存在しない彼女まで含めた、彼女ですか?
あなたは彼女が好きなのですか?
それとも彼女を愛しているのですか?

ではこの長文にも結論をつけましょう。
天海春香とは誰か。その解答は原作者の内にだけあるでしょう。
しかしそれを知る術はありません。たとえ原作者がそれを伝えようと努力しても、それは変質して伝わらざるを得ないからです。
ただし、それでも尚言えることがあります。
天海春香に色などないということです。
鉛筆は一本であることも五本であることも出来ます。
しかしそれは、鉛筆そのものについて考えるときには関係のない、無意味な情報です。
同じように、春香も白いときや黒いときがあるでしょう。
しかしそれは、春香そのものについて考えるときには関係のない、無意味な情報なのです。

・・・。
しかし長すぎるだろ、この記事w


※1独我論
認識論の一つ。世界は自分がそれを認識しているときだけ存在する。という考え方。
春香に出会うまで、春香などこの世界には(知らなかったのではなく)存在しなかったという論理。

自分の認識こそが世界を形作る、という点では自分は独我論を認めますが、認識外の対象も存在はしているとdbdbは考えます。

※2トートロジー
矛盾の対義語。何にせよ偽になる命題が矛盾。何にせよ真である命題がトートロジー。
つまり、「明日雨が降る。かつ、降らないだろう」という文章は降っても降らなくても嘘なので矛盾している。
これに対して、「明日は雨が降るかもしれないし、降らないかもしれない」という文章はどちらにしろ正解なのでトートロジーである。
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その人の全てを受け入れたとき……
それが『愛する』ということなのでしょう。

片面だけを受け入れるのは『好き』ですが、愛するのは
容易なことではないですよね。キャラクター・人・動物に限らず。
っと、そんなことを思ってみました。


そしてdbdbP様と同じような疑問を抱いたからこそ、
自分は下の動画を作ってみたりしています。
お時間が有ればどぞー。

『春香の一人、一人の春香』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5145117


----

……って、初めてのブログに挨拶に来たのに、自分の動画URLを貼るとか
無茶苦茶ですよね。サーセンですwww

ではではです。

>>ぴえーるP
くそっ、1daym@sterで忙しいのに思いっきり見入っちゃったじゃないか!

いい作品をどうもありがとうございました、ぴえーるP!
かわいい春香だったなあ。
やばいなあ。
シャキっとしろ、俺!
まだ制作中だろ!!w

そんなわけで、もう一頑張りしてきます。
では~
アンケート結果公開中!!
ニコマスライフに関するアンケート結果を公開中!!
どうぞご覧下さい!
こちらから
twitter
dbdbP
http://twitter.com/dbdbP
やよいが歌ってるだけbot
http://twitter.com/yayoi_utau
プロフィール

Author:dbdbP
PV系が主戦場。だけど他の畑にも行ってみたい。そんな繊細なお年頃。ネタ作品はあまり作らないけど、頭の中はネタだらけなの。
みんな甲乙つけがたくて誰が俺の嫁とか選べないけど、そこを敢えて断腸の思いで一人選ぶなら、間違いなくダントツぶっちぎりで春香さんですね常考。
リンクに連絡は不要です。好きにやっちゃって!
でも連絡を頂いたら、喜んで相互リンクさせていただきます。
※あまりにアイマス・ニコマス・dbdbPと無関係すぎる歪みねぇサイトはダメかも?

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