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ノベマスについて考えてみる。その1

最近、というほど最近に限ったことでもないですが、ニコマス系新着動画にノベマスの占める割合が増えておりますね。
別に、それ自体について良い悪いと意見を述べるつもりはまったくないんですが、今回はノベマスについてあーでもないこーでもないと色々考えてみたいと思いますよ。
自分はPVしか作ったことがありませんが、ノベマスにも興味津々なのです。
こないだ、友人に「ノベマスのほうが向いてる気がする! ・・・あっ、今のもいいんだけどね!」という下手なフォローを含んだ助言を頂いたくらいです。
なので、作ったことも無い奴が偉そうなこと書くな! とか言われそうですが、まあ外からの視点ということであんまり目くじら立てずにヌルッとスルーしてもらえるとありがたいです。

たぶん長文になりそうなので、途中で格納しちゃうかな。
ご興味があればお付き合い下さい。

※書き終わってみたら超長文にw しかも全部書ききれてないので、複数回に分けますw どうなってるの、これ・・・
※今回は導入部なので、大したことは書いてません。次回以降を読んで「何か意味がいまいち解らないな・・・」と感じたときに戻ってきて読んでもいいかもしれません。


さて、「ノベマス」と呼ばれるジャンルですが、具体的にノベマスとは一体どのような作品を指しているのでしょうか

そうです。ノベマスを論じるには、ノベマスという語の定義を初めに行わなければなりませんね。
ここにおいて、さしあたりは二つの方向でノベマスの定義を行うことが出来るでしょう。

一つは演繹的に、「ノベマス」という単語(まあノベマスは略称ですが)が持つ意味から定義を引き出す手法。
他方は、帰納的に、「ノベマス」というジャンルに分類されている(要はタグが貼られている)動画を分析し、そこからノベマスという動画群の特徴を抽出し、その特徴が「ノベマス」であると定義する手法。

前者は正確ですがその定義に柔軟性や広がりが無く、誤謬のない反面定義自体が無意味になる可能性という欠陥を抱えています。
後者は後者で、定義は柔軟で拡張性に富む一方、どこまで帰納的分析を続けても不完全な定義にしかならないという欠陥がありますね。
噛み砕いて言えば、「そもそもノベマスという言葉は~~という意味なんだから、ノベマスとはこうあるべきだ」という演繹的定義では、現実にうpされる動画の動向や流行の変遷がまったく無視されており、厳密な定義を行える反面、現実的には何の価値も無い死んだ定義となる可能性があり、
もう一方、「最近ノベマスのタグがついてる動画は~~という作風の動画だから、ノベマスとは今現在そういうものだ」という帰納的定義では、現実に即して考えるので柔軟な定義を行えますが、次にうpされるノベマスタグ持ちの動画がただのPVだったとしたら、それで定義も変わらざるを得ません。
そういう不完全な定義しかできないわけですね。

なので、ここでは二つの手法をミックスし、演繹的帰納法を用いて考えてみたいと思います。
つまり、最初にある程度の仮説を持って検証し、現実にそれが当てはまるかどうかで判断するということです。
まあ当たり前の手法なんですが、当たり前の手法が妥当であることをまずは明らかにしなければいけないでしょう。
でなければ、その上にどんな見事な分析と論理を展開しても、それこそ砂上の楼閣に過ぎません。

とまあ、小難しいことを言ってても仕方がないので、そろそろ本題に入りましょうね。
ノベマス。正しくはNovelsM@sterですが、ここで考察する前に大百科にどのように記載されているかを確認してみましょう。

こちら

まず注目すべきなのが、「NovelsM@sterとは、アイドルマスター(THE IDOLM@STER)を題材にしたニコニコ動画で展開中のMADで、iM@S架空戦記の範疇に入れにくいアドベンチャー形式やビジュアルノベル形式などの形式を取ったMADであり、また、それらのMADに付けられるタグのことである。」という一文。
つまり、ノベマスは架空戦記と密接な関連性を持っているということが伺えます。
また、定義として「厳密な定義は存在しない。iM@S架空戦記タグとNovelsM@sterタグを両方持つ作品も存在する。」との記載があり、架空戦記とノベマスが何かしらの同じ領域を共有し得るものであることも見て取れます。

どうやら大百科に記載されるような、ノベマスの厳密な定義はまだ存在しないようです。
存在しないものは仕方ないので、ここで最初にノベマスの定義をしてしまいましょう。


●ノベマスのノベに注目してみる
NovelsM@sterである以上、ノベル=小説・文学的表現手法の伴う動画であると言えるでしょう。
この一点を外している動画は、どう見てもノベマスとは言えないはずです。
極論、文字が出てこない作品はノベマスではない。ということは間違いないはずです。
こんな風に、否定法で定義に挑戦してみましょう。
文字が出てこない作品はノベマスではないなら、文字が出てくる全ての作品はノベマスなのでしょうか。
これはちょっと考える余地がありそうです。
例えば、PV系の動画には歌詞が予めPによって入れられている動画がありますね。
あれはどう見ても文字が出てくる動画ですが、歌詞入りPVはノベマスに含まれるのでしょうか。
何か違うような気がしますよね。
歌詞は文字ですが、文学ではありません。リリックとノベルは別物です。
つまり、文字が出てこない作品はノベマスではない、のではなく、小説的表現手法に頼らない作品はノベマスではない。ということではないでしょうか。

では小説的表現手法とは何でしょう。
文章とは、事物を言語で表現するものの一形態です。
小説とは伝えたい情報、あるいはメッセージを伝達するための文章の一形態です。
文章自体はニコマス系動画全体で使用されますが、小説的表現手法はそうではない。
小説的表現手法というものの中身を解明すれば、その小説的表現手法を採用する動画がノベマスである。ということが言えそうです。
難しく考えず、小説って何さと考えてみれば、要は全部文章で表現したモノ、ですよ。
文庫本を適当に手にとってパラパラめくれば、多少の挿絵があったとしても、基本目に入るのは文字ばかりです。
つまり伝えたい情報を文字だけで伝えているニコマス動画、それがノベマスなのではないだろうか。
という仮説が生まれますね。
ですがこれはあからさまにナンセンスです。
今や日々数多くの新作がうpされるノベマス界です。それをざっと見渡して、文字だけしか出てこない動画なんてどこにあるでしょうか。
いや、本当はどこかにあるのかもしれませんw が、特に検索して探すようなことはしてませんし、とりあえず自分は今までに見たことが無いという経験を根拠に言っております。
人物描写はキャラの立ち絵で見せ、表情や動きの一部も画像で表現する作品が殆どです。
BGMで場の空気を表現し、SEや画面効果でアクションを表現するのが当然のように行われます。
最早これは、どう見ても小説ではありません。いや、まあそもそも本じゃねえし、っていうアレもありますが、とにかく小説以外の何かです。
小説以外の何かなのに、なぜノベマスはノベマスと呼ばれたのでしょう。
それはきっと、その小説以外の何かである動画の本質が、それでもやはり小説的であったからではないでしょうか。
つまり、現在ノベマスと分類される作品たちは、小説的ではない映像的、音楽的表現手法も採り入れつつも、にもかかわらず本質的なメッセージを伝達する役割は未だ小説的表現が担っているだけに、ノベマスと呼ばれ続けるのではないかと思うのです。
もちろん、その背景にはすでにノベルゲームや恋愛シミュレーションに代表されるアドベンチャーゲームが十分に受け入れられているという土台があったからでしょうね。
ともかく、作品として必要不可欠な中核的役割を文章表現が担っている、ということが、ノベマスの定義として言えそうな気がします。
現在うpされている様々なノベマス動画を見て、音をミュートにしてそれで作品的に成立しなくなる動画はほぼないでしょう。
音の再生を前提にした何かしらのアイデアを盛り込んだ作品もあるかもしれませんが、それはアイデアの問題であり、ノベマスというジャンルの性質とは別の話です。
また、キャラの表示や画面効果などをやめてしまって、それで作品的に成立しなくなる動画もほぼないはずです。
音も絵も、やろうと思えばすべては文章でフォローできます。出自が小説なのですから当然ですね。
ですが、その中核たる文章がなくなってしまったら。それでも作品として成立する動画は皆無ではないでしょうか。
あの大作、シネ☆MAD2ndにて公開された『覇道』でさえ、文章を消去してしまったら(依然文章以外の各要素の魅力は些かも損なわれないとしても)「作品」としては最早成立しません。
このように、各要素に「縛り」をつけてもそれでもそのジャンルの動画として成立するか、を考えてみたとき、ノベマスに不可欠な要素は文章表現であり、他の要素・表現手法を採用したとしても、最終的に全てを担い得る中核的要素は文章表現に他ならない。ということが言えそうだと思うのです。
PVから歌詞を消去(歌詞縛り)をしてみても、普通にPVとして成立します。
ですが、PVから曲を消去(曲縛り)をしてしまったら、それはPVとして成立しません。
つまり、PVにおいて曲とは、必要不可欠な中核的要素であるということです。
同じように、ノベマスにおける必要不可欠な中核的要素は文章表現です。

ここで注目しなければならないのは、
「ノベマスにおける必要不可欠な要素は、文章表現である」
という定義は、何もそれ以外の要素を否定するわけではないということです。
その上に音楽や映像がどれだけ乗っかろうが、上記の一文に合致する限りそれはどこまで行ってもノベマスなのです。

さーて、段々外堀は埋まってきましたねw
ですが、まだノベマスの定義として検討すべき部分が残っています。
ノベマスのノベの次は、当然ノベマスのマスですよね。

●ノベマスのマスに注目してみる

要は、どこまでの二次創作を、アイマスと認めるべきか、です。
これは非常に難しい問題です。
なぜなら、これはアイドルマスター、あるいはその各キャラクターのアイデンティティについての問題だからです。
よくネタとして、リボンなし春香やメガネなし律子に対し「本体がない」とか、「誰だ・・・これは・・・?」といったコメがされているのを見かけたりしますが、別にリボンがなくなっても春香は春香です。
春香の本名が実は夏実だった! なんていう設定を創作しても、やはり春香は春香でしょう。
春香の正体は実は宇宙人で、名前は「lがほpでゃおgはたtyのヮの」で、人類を魅了し地球を手中に収めるためにアイドルとして活動していた! よく転ぶのは人間の姿と地球の重力に慣れていないからだった! なんていう妙にリアルな設定を創作してしまうと、これはさすがに人によるかもしれませんが、まあ動画中で表示される画像が春香のままなら、現在の風潮としてはノベマスとして許容される範囲ではないでしょうか。
要するに、アイデンティティというのは自己自身について考える場合は自分次第、他者について考える場合はそれを考える観察者次第という部分が非常に強く、万人共通の定義なんてのは出て来難いものなのです。
これはノベマスというよりはニコマス、そしてMAD全体に関与する問題で、そして全ての二次創作に携わる者が一度は直面する問題です。
原作とその設定を、どこまで改変してもいいものか、誰でも悩んだことがあるはずです。
それが良い改変であれば受け入れられるでしょうが、悪い改変であれば叩かれるでしょうw
それは視聴者次第です。
ここは別に受ける動画の作り方について考える記事ではないので、その辺はすっとばしてしまいましょう。
(長文化が進んでいるので、この点に関する自分の意見を簡単に言わせて貰えば、「外見と性格を変えなければ大概おk」じゃね? って感じですかね。)

ここで考えるべきは、MADによくある作品ミックスについてです。
ニコニコ動画において人気のある作品やキャラクターは、アイマスを除いてもたくさんありますね。
初音ミクに代表されるボカロ、東方、兄貴、ドナルド、などなど枚挙に暇がございませんね。
そして当然、それらがミックスされたMADが山ほどあるわけです。
ノベマスにおいてもそうで、アイマス以外の作品の登場人物、設定が使われた作品が色々あります。
でもそれらは、どこかの一線を越えてしまったらノベマスのマスに当てはまらなくなり、必然的にノベマス以外の何かになってしまいます。
ノベマス作品は、原作のアイマスとは違う何かを持っていなければなりません。
でなければ作る意味がありません。原作と同じことをしても原作は無敵です。勝てません。
ですが、どこかでノベマスは原作と同じ何かを持っていなければなりません。
同じ何かを持っているから、ノベマスはマスを名乗れるのです。

そのマスを名乗れる、必要不可欠な要素とはなんでしょうか。
たとえば、アイマスのキャラが一人も出てこないノベマス。これはノベマスとして成立するでしょうか。
765プロの社長がドナルドで、小鳥さんのポジションが兄貴で、アイドル候補生がボカロや東方キャラだったら。
それはそれで面白そうですが、これはギリギリアウトだと自分は考えます。
ノベマス、というジャンルに入れるにはアウト、だということですよ? 作品としては面白いんじゃないかと思いますがw
ノベマスというか、ニコマスとしてアウトだと思います。
なぜなら、この作品を作った人間の愛情は、アイマスではなく登場する各キャラクターに注がれているように思えるからです。
この作品を見て喜ぶのは、ボカロ民や東方界隈の方々とかで、アイマスファンとしてはやっぱり原作のアイドルが登場して欲しいと思うのが自然ではないでしょうか。
他のジャンルとの橋渡し、アイマスとニコマスの魅力を知らない人に知ってもらうための動画としてはとても有意義かとも思いますが、この作品の作者が、アイマスへの愛情を理由に作ったなら、アイマスキャラ全排除なんてことにはならなかったのではないか、と思ってしまいます。
(前述の通り、アイマスとニコマスを他ジャンルへと広める為、なんていう政治的理由があるなら別として。)
逆を言えば、作品に登場するアイマスのゲームシステム、世界観、そして醍醐味であるオーデの緊張感やTV出演シーンなどに非常にこだわりがあり、作者がアイマスを愛していることが伝わる内容であるなら、それは十分ニコマスとして、またはノベマスとして認められるものでないかと思うのです。

みんなアイマスが好きだからニコマスをやっているのです。
その愛から生まれたのなら、何だってニコマスだと言えるのではないでしょうか。
同じように、アイマス愛に溢れる作品なら、たとえ他作品とミックスしていてもそれはノベマスなのです。
難しいのは、わざわざミックスする以上、ミックスする他作品もまた作者は愛しているはずで、そのどちらへの愛が大きいのか、という問題ですが、この点においてできるのは便宜上の形式的線引きだけで、愛の大きさについての論理的弁論は不可能でしょう。
なのでここでも便宜上の形式的線引きだけを行いますが、これは以降議論を進める上で、ノベマスを考えるにあたってノベマスとそうでないものの区別が重要な際にのみ適用される特別ルールのようなものです。
基本、愛があればおk。という路線に変わりはありません。

ここでは、
「アイマスのキャラクターが深く物語に関わる(主役・準主役)」
という条件を満たすものを、ノベマスだと考えましょう。
まああくまで特別ルールですので、出番は無いかもしれませんが。



さて、長々とうんぬんかんぬん書きましたが、ようやくノベマスとは○○である。という定義を行えそうです。
つまり、
ノベマスとは、文章表現を中核としたアイマスへの愛の溢れる作品である。
ということです。
以降、ノベマスという語を使う際は、このような意味で使用します。
あー、定義について考えるだけでこんなになってしまったw
次回以降、ようやくノベマスについてあーでもないこーでもないと言えそうです。
疲れた。お腹減った。うーうー。
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始めまして、ノベマスで活動しているねこようじと申します。
最近ではNovelsM@sterの定義で揉める場面を見たりしていて、私自身も色々と考えることがあったのですが、ノベマス=文章表現を中核としたアイマスへの愛の溢れる作品郡、というのは実に分かりやすくていいですね。
まあ、まだまだ未成熟なジャンルだと思いますので、内から外から色々見たり触ったりしてくれたら嬉しいなあ…などと底辺ノベマスPが申してみたりしますよ。
では、次回以降の記事も楽しみにしております。

>>ねこようじさん
この長ったらしい文章を読んでいただいたのですねw
ありがとうございます。
実は自分がこの記事を書いたのも、最近いろんなところでノベマスについての語りをみかけるなあ、と思ったからなんです。
たしかにノベマスは未成熟なジャンルだと思いますが、逆にそれはまだ成長する余地が山ほど眠っているパラダイスであるとも思うのです。
だからこそ興味深く、今後の動向から目が離せなかったり。
次回以降も自分なりに色々と小生意気なことを書かせて頂ますが、お読みいただければ幸いです!
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みんな甲乙つけがたくて誰が俺の嫁とか選べないけど、そこを敢えて断腸の思いで一人選ぶなら、間違いなくダントツぶっちぎりで春香さんですね常考。
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でも連絡を頂いたら、喜んで相互リンクさせていただきます。
※あまりにアイマス・ニコマス・dbdbPと無関係すぎる歪みねぇサイトはダメかも?

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